平成30年9月3日(月)開催
救急医療体制の整備や普及啓発など、救急医療に関する功績が顕著な個人又は団体に対する知事表彰が行われ、団体として玉木病院が受賞しました。
受賞者 団体
玉木病院
萩市大字瓦町1番地
功績概要
地域の救急医療に救急告示病院、病院群輪番制病院として数多くの救急患者を受け入れ、大きく貢献。
平成30年度山口県救急医療功労者知事表彰受賞(団体)を受けて
この度、平成30年度山口県救急医療功労者知事表彰受賞(団体)という大変名誉ある賞を頂き、身の引き締まる思いでございます。
山口県において救急医療に携わる病院は数多ある中で、当院のような小さな個人病院には身に余る光栄だと思います。
後で知った話でありますが、この度の表彰病院の選出においては、他にも多くの病院が候補に挙がっていたとの事です。
そのような中、当院の救急車の受入件数が、平成27年度の393件から 平成28年度は484件、
平成29年度は524件と増加し続けていることを受け、本年6月に逝去された周南記念病院理事長の竹重元寛先生より、
委員会の中で「若い人が頑張っているから」とのお言葉を頂いたことがきっかけであったと知り、胸が一杯になりました。
大先輩からご配慮頂きました心温まる激励を糧に、微力ながら地域の救急医療の為に尽力して参りたいと考えます。
当院の成り立ちを、お話させて頂きますと、その歴史は毛利藩、藩医、烏田家(外科オランダ流医学)の流れを汲み、
寛永16年(約380年前)より当地で医療を引継いでおり、大正2年(105年前)、曽祖父の時代に許可を得て病院組織となりました。
昭和30年代末から40年代初頭の第1時交通事故多発時代より救急車を配備し、山口県より昭和40年2月23日、
山口県公示第123号をもって救急告示病院に指定され現在に至ります。
当時、萩地区の救急車は萩消防署と当院の2台のみで、他医療機関への搬送にも活躍したと聞いています。
また、先代院長である父、玉木英介の時代には、昭和42年9月から4つの医療機関による24時間交代制、365日体制が発足しました。
当院は、当時、萩市医師会の先達が掲げられた「萩市民の救急患者さんのたらい廻しだけは防ごう。」との志を受継ぎ、
萩市医師会を始めとした諸先生方や萩市内外の多くの関係者のご協力を頂きながら、萩市民の健康管理に日々勤めております。
父英介が、1999年(平成11年)5月に個人として山口県救急医療功労者知事表彰を頂いており、
約20年経った今、私がこのような栄えある賞を頂戴する事に心を打たれます。
当院が今日まで萩市の救急医療の一員として携わって来られましたのも、萩市医師会の内科系諸先生方による一次救急への御尽力、
また、萩市医師会の諸先生方の御配慮、山口大学を始めとした中枢機関からの多大なる御支援と御指導、
その他にも枚挙に暇がない程多くの皆様方のお力添えの賜と心より感謝申し上げる次第です。