玉木英三が、1887年(明治20年)に「玉木醫院」を開設し、
玉木焏輔が、1913年(大正 2年)に「玉木病院」と改称し、
玉木病院は、2013年(平成25年)で100周年を迎えました。
萩市の医療の歴史は、1840年(天保11年)9月、
藩主毛利敬親公が医学研究所の設立を許されたことから始まりました。
後に好生館と改め、1861年(文久元年)2月25日、
玉木病院がある瓦町1番地に移転しました。
幕末の激動期には萩絵堂の戦、下関攘夷戦、
四境の緒戦に従軍した負傷者や羅災者達を治療し、
その功績は多大なものと記録があります。
また、1876年(明治9年)の萩の乱(前原騒動)には、
多数の負傷者の診察治療に従事しました。
現在も、当時の好生館の鬼瓦が長北医療センターの玄関に残存してあり、
萩市医師会が大切に保管しております。
お陰様で玉木病院の100周年という節目を私の代で迎えることとなりましたが、
念願であった新病棟建設も間に合い、昨年10月に無事竣工を迎えることが出来ました。
今日この日を迎えることができますのも、ひとえに地域の患者様や皆様方のご支援の賜物と深く感謝申し上げます。
今後も萩北浦の地域医療の充実に、微力ながら努めてまいりたいと思います。
旧来に変わらぬご指導、ご支援を頂きますようお願いいたします。
2013年(平成25年)5月10日
玉 木 病 院
院長 玉木英樹